「何か意味があるはず」という幻想

仕事選び、人間関係、恋愛…

他にも沢山のことを

これは意味があるはず。

何かためになるだろう。

そう思って選択し、行動する。

でも、きっと

これが苦しみの根源。

良かれと思って始めたことにも

いつしか「何か意味がある」

と期待し、元を取ろうとする。

信じた時間・努力・我慢…

犠牲にしてきたものを回収しようとする。

気づけば、見返りを求めるようになっている。

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だから

この道は違うと気づいても

勉強に費やしてきたお金・

築いてきたキャリア・

何より費やした時間が

もったいなくて辞められない。

または、

こんな男とは別れたいと思っても

それまで費やした時間と労力、

注いだお金がもったいない。

こんなに愛したんだから

自分も愛されるまで別れたくない。

そう思ってダラダラ関係を引きずる。

勇気を振り絞って

それらを手放したとしよう。

だが、手放したら手放したで、

好きなことで稼ぎたい

もっといい人に出会って幸せになりたい

こうしてまた、「意味あること」を探し始める。

「もっともっと」「これまでよりずっと」

よくなる未来を期待する。

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本当に幸せになりたいなら、

(ここでいう幸せは平穏な状態をいう)

「何か意味があるだろう」と

幻想を抱いてしまうことではなく

毎日当たり前に歯を磨くようにできる

「自分を整えること」に集中する。

私にとっては、

考え、読み、書き、ピラティスをすること

がそれに当たる。

もっと楽に稼げること

・もっと人のためになること

・もっと愛される“何か”を持つこと

そんなことを求めたところで

一時的に幸福を感じても、長続きしない。

いつかそれは「もっともっと」と膨らみ

風船のように破裂する。

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とはいえ、私も

「何かためになるはず」

「これも何か意味があるだろう」

と思って選択してしまうことも

まだまだ多い。

でもそんな時こそ、

また「意味」を求めていないか

少し立ち止まって考える。

自分の人生に大きな意味なんて

存在しないかもしれない。

生きる意味に執着せず、

当たり前にしている

自分を整えることに集中する。

それで出たアウトプット(記事など)が

誰かの心の拠り所になったり

後押しになるのであれば

それはとても嬉しいこと。

でもそれもやはり、

目的になってしまうと苦痛を生むので

ただ静かに、自分を整える日々の中で

ふと生まれた何かが、誰かの心に届く。

それで十分なのだと思う。


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