これだ!
と一目惚れした花に出会うと
買ってきて部屋に飾る。
存在だけで癒される。
10日前後の命が
まるで永遠であるかのように
日々水をやる。
今朝、水を替えながら
ふとこんな問いが生まれた。
自分は自分という存在に対して
何を注いでいるだろう。
良い睡眠、食事、
ショーペンハウアーの本、
書くこと
これが私にとって必要な水。
なのに日々、雑音に晒し
違和感のある場所に身を置いていた。
自分が一番綺麗に咲くために、
必要なものは何か。
人はこの問いをせずに
ただお金を追いかけたり、
名誉や承認を集めたり、
愛されようとしたりする。
そうやって生きるのは簡単だが
それらを盲目的に追えば追うほど、
心は少しずつ枯れていく。
気づいた頃に
心は枯渇し死んでいる。
とはいえ息はしているので
枯れたまま生きる。
どんな水を日々を注いで生きるか
これを自分と確認して
意識的に選択する必要がある。
どんな場所に身を置き、
どんな言葉をかけ、
何を食べて、
どんな時間を過ごすか。
誰かにどう見られるかはどうでもいい。
それにより
“自分が呼吸できているか”が重要。
自分が咲いているかどうかの基準は、
他人の目じゃなくて、
心がどう感じるかにある。
私は、私が選んだ心地よい場所で、
私が潤う水を注いで、
息をしながら、生きていきたい。
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