教師は悪魔か、天使か|悪魔編

今でもたまに思い出す、
教師からもらった言葉.。

悪魔のささやきのように
頭に残っている言葉もあれば、

天使の導きのようだった言葉もある。

今回は、悪魔のささやきを
私がどう消化して
生きているかを書きたい。

(天使の言葉も書きたかったが、
途中で力尽きたので、次回以降に…)

人格決め付け発言

「君はだんだんダメになる」

君は駆け出しはいいんだけど、だんだんダメになっていくよね。

この言葉を、生きてきて
数人の教師に言われた。

まあ、これは思い当たる節がある。
間違ったことは言ってない。

私はスポーツでも勉強でも、
やり始めは興味があるので努力をする。

努力するので、ある程度の結果が出る。

だが、新鮮さが薄れると飽きて
結果が出なくなる。

そんな時に、よくこう言われた。

最初は良かったんだけどな..だんだん落ちたね。

その後の人生に与えた影響

幼い頃に言われたのもあり、
この言葉が脳裏に焼き付いていた。

  • 後々、どうせガッカリさせるかもしれない。
  • 本当に最後まで頑張れるかな。
  • 私は何をやってもダメな人間なのかもしれない。

このように、何かを始める時
不安な要素になっていた。

しかし、今振り返ると、
やる気を失ったのは全て、
結果的に「私のものではない」
ものばかりだった。

「これだ!」と思ったものは
努力や工夫を続けるし、
浮き沈みはありつつも長続きする。

たしかに、
目に見える私の状態は、
「やる気を失った」状態だったが、

これは即ち、
自分のものかそうでないかの
 区別がついた」状態
だったのだ。

目に見えるものしか見えない、
そしてそれを、そのまま口に出す

そんな人間の発言を間に受けて
不安になる必要は全くなかった。

お前はこういうところがあるよな。

教師に限らず、親であれ親友であれ
決めつけるようなことを言われたら

一度は自分を客観視してみて、
違うと思ったら無視して
心の中で踏みつければいい。

私もまだ、
ニヤニヤしながら
そう言ってきた教師の顔が
目に浮かぶ。

教師は敬うべき存在だと
子どもの頃は思っていたが、

教師も教師である以前に、
人間だった。

素晴らしい人格者や
敬うべき人もいれば
そうじゃない人間も沢山いる。

生徒の良さを引き出せる教師もいれば、
目に見えるものしか
見えていない教師もいる。

浅はかな言葉しかかけられない、
その程度の人間の言葉を
胸に刻んで生きるほど、
人生はくだらないものじゃない。

軽はずみな発言

事の背景 | 何気ない一言と世界の崩壊

まずは、背景を少し話す必要がある。

私はそこそこ裕福な家庭に生まれ、
高校生頃を境に、極貧になった。

小学校から私立だったので
周りの友人もエスカレーターで
高校まで進学。

互いの家族環境も知っているし
金銭感覚も似ていた。

そんな中、家の経済事情が急激に悪化し、
高校から奨学金を受給することになった。

事件が起こったのは、
高3の夏頃。

当時の私は、奨学金を受けている
事実が恥ずかしくてたまらなかった。
(もちろん今はそんな風には思っていない)

隠れて申請書を提出し、
学校では余裕あるフリをして
生活を続けていた。

そんな高校生活も終盤に
差し掛かった頃、

たまたま担任の先生が休みで
代理の教師が終礼をした。

帰ろうとした時、ソイツが
「XXさん、奨学金の書類取りに来て」
と、教室の中で大きな声で言った。

その言葉一つで、
小学生の頃から積み上げてきた
その学校での生活が崩壊した。
(今思えば砂の城のようにもろかった)

全てが台無しになたように感じ
殺意が湧く一方で、
足の力が抜けてしまった。

今となっては
親の経済状況が悪化したことも
奨学金も恥じる気持ちはない。

むしろその経験のおかげで
学んだことが沢山あるので
感謝しているのだが、
とにかく当時の私はそうだった。

私はそれから数年間、
いつ仕返しをするか、

ソイツにも子どもがいるので
どんな言葉を吐けば
トラウマを作ってやれるか
そんなことばかりを考えていた。

伝えたいこと

背景が長くなったが
ここでは奨学金どうこうの話を
したいのではない。

このように、
言葉一つで誰かの世界は崩壊しうる。
それを教師がやってしまうこともある。

価値観や考え方の違いがあるので
仕方ないのも事実。
防ぎようがない。

でも、言えることがあるとしたら

誰かの言葉なんかで
私やあなたの世界は崩れない。

一見、崩れたようでも、
それを糧にする力もあれば
想像してない良い未来も待ってる。

それに、もし本当に壊れたとしても
また新たな世界をつくればいい。
今目に見えている世界が全てではない。

時間と共に、起こった出来事を
捉える視点も変化していく。

「壊された」と思っていたことが
「あの経験のおかげで」に変わる日が来る。

そして、もう一つ。

自分なりの終わりの儀式をするのも良い。

起きてしまったことは仕方ないので
ある程度消化できたタイミングで
終わりの儀式を一人で行う。

本人にぶつかりにいくのも
良いと思うし、

私はやっと消化できてきた今、
こうやって書くことで発散している。

最後の怨念が解けたような
そんなスッキリした気持ちになる。
(noteのネタにもなったのでヨシとしよう)

後日談

私がその日の話を親にしたところ
それが担任にも伝わり、

その代理教師は
職員室で私の担任(体育教師で激こわ)に
アホほど怒鳴り散らかされたらしい。

最後に

分別がない時ほど
教師の言葉を間に受けて

それを長年心に留めて
生きてしまうことがある。

振り返ってみると、

何であんな奴の言葉を「大事に」してきたんやろ。

と、悪魔を心の中で自ら住まわせ、
時には育てていたことに気づき
バカらしくもなる。

私も幼い頃は教師に
幻想を抱いていた部分もある。

教師が言ってるから正しいんだろう。

教師だから生徒の頃を配慮してくれるだろう。

これは私の偏見であり、傲慢だった。

ここで心から伝えたいことは、
どんな形であれ
他人に翻弄されて生きる必要は
全くないということ。

教師も一人の人間だったことを
私は遅れて理解した。

もし今この瞬間、
嫌な思いをしていたり、

または同様のトラウマや
辛い記憶と共に生きているなら
少しでも心が楽になれば嬉しい。

次回以降、
今の私を作ってくれた教師の言葉も
【天使編】で書きたいと思います。


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