これまでは、浮かんでくる思考や感情をどうにか「解釈」して、分析によって感情の起伏を抑えようとしてきた。
「なんでこんな気持ちになるんだろう」
「どうすればこの感情を消せるだろう」
そんなふうに頭の中で理由を探して、納得できる答えを見つければ少しは楽になれると思っていた。
でも、最近はそのやり方が少し変わってきた。
思考が浮かんできたら、それを自分と同一化せずにただ眺める。感情が湧いてきたら、それを「私」ではなく「私を通り抜けるもの」として受け止める。
そうすると不思議と、思考の渦の中で振り回されるよりも、一歩引いたところで「聞く側」に立てる感じがする。
感情への自動反応から「選ぶ」ことへ
昔の私は「人にこんなふうに思われたくない、恥ずかしい」「今日も仕事だ、だるい」といった思い込みにすぐ捕まっていた。
けれど、いまは少し違う。
「恥ずかしい」「だるい」というのは私が反射的にしているラベリングであって、事実ではない。
その思いに気づいたら、「理想の自分ならどう選ぶだろう?」と問い直してみる。
そうすると、同じ状況でも選び直しができる。
予定外の出来事が起きても、「これは完璧な方向に向かうための出来事なんだ」と捉えることにする。
1秒先の未来は決まっていないのだから、自分で選択していく。
感情を抑えるのではなく、見抜く
昔は「感情をなくしたい」とどこかで思っていたけれど、今は違う。
大事なのは感情を押し殺すことではなく、感情を生んでいる「思い込み」に気づくこと。
出来事が起きると、無意識に思い込みが発動して感情が生まれる。
でも、その思い込みに気づいた瞬間、感情は「自分を支配するもの」ではなく「ただの反応」に変わる。
そのプロセスを少しずつ繰り返していくと、感情の浮き沈みも穏やかになって、ニュートラルに近づいていける気がする。
これはショーペンハウアーの言う「意志の沈黙」「心の穏やかさ」に加え、ニサルガダッタ・マハラの教えをプラスしたものに近い。
小さな変化の実感
以前は「どうにか分析して、感情を抑えよう」としていた。
でも今は、「観察するだけで、自然と和らいでいく」ことを知った。
思考や感情に巻き込まれずに、ただ見守る。
選び直す自由を、自分に与えてあげる。
この小さな変化が、心の波を静かに、目の前の現実に飲み込まれない自分にしていくのだと思う。
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