教師は悪魔か、天使か|天使編

悪魔のような教師と、天使のような先生。

今日は「天使編」。

今も私の中で支えになっている
先生について書きたい。

▼前回の記事

仕事観を与えてくれた先生

こんなふうに働きたい、生きたい──

そう初めて感じたのは、
音楽の先生との出会いだった。

その先生は、
学校のほかにも
個人でレッスンを行い、

一日中、いや人生を
音楽と生きている人だった。

毎週レッスンがあったが、
好きな歌手のコンサートと、
趣味の温泉巡りがある週は
お休みだった。

好きなことを仕事にして、
それを軸に人生を組み立てている大人

私のまわりにそんな人は
その先生しかいなかった。

自由で、素直で、自分に正直で。
どんな大人よりも素敵に見えた。

先生みたいに生きたい

そう強く思った瞬間を、
私は今でもはっきりと覚えている。

現実に妥協しそうになるたびに、
その先生を思い出し、
ふと立ち止まって人生を考える。

“強み”を教えてくれた先生

このエピソードも、
同じ音楽の先生との思い出。

私は昔から、部屋を飾ったり、
物の配置を変えるのが好きだった。

ある日、
私の家でレッスンをしていたとき、
先生がぽつりと言った。

ほんとにうまいこと飾るよね。

私が驚いたような顔をすると、

前からずっと思ってたよ。
センスいいなあって。

この大袈裟に褒めるわけではないが
さらっと流れるような言葉が
強力に頭の中に残った。

今でも、インテリアや
模様替えをするときには

「やっぱ私、センスいいわー」

って心の中で思ってる。(笑)

当時は思いもしなかったけど、
先生の何気ない一言が、
自己肯定感を育ててくれた。

今の私の価値観にまで
影響していることに、
感謝してもしきれない。

進むべき道に導いてくれた先生

これは中学生の頃の話。

ある先生がしつこいほどに
外国語部の活動に誘ってきた。

その先生は韓国語専門で
当時はK-POPがブームになる前で
他の外国語に比べて
韓国語の人気は圧倒的に低かった。

部活説明会で、

「母が韓国ドラマをみていて
 日本語と似ている単語もあって
 面白いと思いました。」

と言ってしまったがために
そこから猛烈に勧誘された。

しぶしぶ通ったり、
サボったりしながら、
ハングル(韓国語のABC)を
半年かけてようやく覚えた。
※本気でやれば数日で覚えられる

半年の甲斐あってか、ある日を境に
韓国語をスラスラ読めるようになり
面白くなって本格的に学び始めた。

その後、私は韓国へ留学。
KPOPの流行もあり、帰国する頃には
韓国語を活かせる求人も増えていて
思わぬ恩恵を受けることになった。

あの時、先生がいなかったら、
きっと今の私はいなかった。

先生は、
私が卒業するまでずっと
部活に参加したことを
とても喜んでくれていた。

外国人学生の交流会や料理教室など
机上だけではない“リアルな学び”を
たくさん企画してくれた。

振り返ると先生は、
「韓国が好き!」という想いを
生徒たちにも全力で伝えようとしていた、
情熱的な先生だった。

そんな先生に恵まれたことは、
単に韓国語を学んだ以上の
かけがえのない大きな財産になった。

教師は悪魔か、天使か

このシリーズのタイトルに
あえて二元論を使ったけれど、
実際にはそんな単純な話ではない。

悪魔のような教師もいれば、
天使のような先生もいる。

でも、“悪魔”を
心に住まわせ続けるかは
自分で選べる。

都合のいい言葉だけを、
自分の中に残していけばいい。

新卒教師 賛否論について

最後にひとつだけ触れたい話。

新卒で教師になって、教えられることがあるのか?

そんな意見を耳にすることがある。

私は、それには疑問がある。

ここでは書ききれなかったが、
私の人生を支えてくれた先生の多くは
“新卒で教員になった人たち”だった。

教師が「天使か悪魔か」
新卒教師が「良いか悪いか」
そんな議論は、本質ではない。
(いや、天使と悪魔はお前が言い出したw)

もちろん、学校外の経験を積めば
良い「教師」には、なれるかもしれない。

でも、それをしたところで

  • 本物を見る力
  • 見えないものを見る力
  • 魂をぶつける情熱

がある「先生」になれるとは限らない。

今も胸に残っているのは
まさにそんな力を持っていた方々だった。

そういう先生に、必ず出会えるとは限らない。

でも、もし一人でも思い浮かぶ顔があるなら
それは、幸運であり
人生を支える大きな“心の財産”になる。


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